笑顔がかわいい
主観的にもおそらく客観的にも赤ちゃんがかわいいのは、なんといっても笑顔である。ぎこちないしぐさ、とことこ歩く姿(ハイハイはそれほどでもない)などももちろんかわいいが、なんといっても笑顔である。
かまってやればやるほど、遊んでやればやるほど、愛を注げば注ぐほど、かわいくなっていくのである。子供は恐ろしく正直なので、こちらが少しでも手を抜くと、すぐにばれる。遊ぶときは全身全霊をささげなければならない。「全身全霊をささげなければならない」と表現したが、義務になってしまっては、「ささげた」ことにはならない。それは喜びをもってすることである。とはいえ、今日は(より正確には、今は)遊ぶ!と”決め”をもつ必要はある。
”決め”さえもてば、あとは簡単。遊びにルールなどない(ケガにだけは注意するが)。本当に遊んでいるときは、親も子もない。それは親としてというより、ヒトとしての至福のひとときである。さらにいえば、瞬間、瞬間は親としての立場から子供を見たりもするので、同時に、親としてももう一つの至福のときが得られる。それは何物にも代えがたい。
子供の笑顔。それは、子育てをしていて何よりの報酬である。(H10.6.13)
生まれたての赤ちゃん
あれはいかん。ゲテモノだ。母親が生まれたての赤ちゃんにいとおしさを感じるのは理解できるが、父親がこの世に生まれたばかりのゲテモノをかわいいといっている姿は信じられん!
以前、ここのページを読んで、「親ばかっ」とディスプレイに向かってつぶやいた人が私の職場にいるが、彼のところにも子供が生まれた。今こそ反撃のチャンスである。彼はおかしい。生まれたての赤ちゃんをかわいいと言っている・・・。(皆さんもそう思うでしょう?大体赤ちゃんなんて、生まれたてにかぎらずそのほとんどがあんまりかわいくないですよ。社交辞令でかわいいと言うのは別として、それでもかわいいと言う人は、よく観てくださいね。「見る」のではなくて「観る」んですよ!!)
うちの子に関して言えば、やはりお世辞にしかかわいいと言えなかった。私は立ち会い出産をしたので、本当の生まれたても見ている。頭の形は細長くピッコロ大魔王(鳥山明の『ドラゴンボール』に出てくるナメック星人)のようだし、なんといっても、肌があちこちひび割れていた。表面の皮膚を被っていた膜があちこちはじけて破れたようになっていた。あれは何だったのか、知識不足もあり、いまだによくわからない。
ひび割れの痕は、数日後にはかさぶたになり、そいつの肌はガサガサだった。アトピー性皮膚炎のようにも見えた。看護婦さんには、アトピーかもしれないわね、と言われてもいた。そのことを別の人に話すと、アトピーにしては出るのが早いわね、とも言われた。結局、アトピーではないと確信できるようになるまで、数ヶ月かかった。最終的にかさぶたがなくなり、肌がそこそこツルツルになるのにそれくらいかかったのである。それまでの間、広夢はしばしば「クワトー」と呼ばれた。呼んだのは他ならぬその親たちであるが。「クワトー」とはアーノルド・シュワルツネッガー主演でシャロン・ストーンも共演している『トータルリコール』という映画に出てくる、ある重要人物である。けっこう面白い映画なので、見たことない人は、ぜひビデオでも借りて見てみてください。
産婦人科の保育室(と言ったか?)に並んでいる赤ちゃんを見ると、まあまあかわいい子も確かにいる。私は二つ左隣にいる赤ちゃんのほうがいいと思った。帝王切開で生まれた子は、頭がまん丸で、そこそこ見られる形をしている。そっちも捨てがたい。顔はいまいちだったように記憶しているが。
生まれたては、確かにかわいくないのだが、しかし、自分の子に関しては、じーっといつまで見ていても飽きない。これは不思議だ。複数の父親から同じ証言を得ており、これは普遍的なことなのかもしれない。利己的な遺伝子のなせるワザか?こうやってみんなお父さんになっちゃうわけね。(H11.2.12)