混沌について

秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず
             世阿弥『風姿花伝』

いわゆるプロフィール

この『混沌の間』自体が私のプロフィールみたいなものだよ。しかし、巨大すぎて、書いた私自身でもすべては簡単に読みきれないのも確か。

自分について

参考までに。

ハンドル混沌。大学3年の2月8日、パソコン通信を始めたときから使っている。稀に、混純と書いてくる人がいますが、読み方はこんとんです。
仕事会社員。離職率の高い職場で「大学4年生」になりました。
住まい屋上(3階相当の高さ)から富士山が見える都市部。でも、周りには畑もある。
ほしいもの時間。でも、限られた命だからこそ、ですよね。映画版の『銀河鉄道999』、テレビで初めて見たとき、本当に感動したなあ。大人になってから見ても感動した。キャプテンハーロックがカッコよすぎてたまらない。ハーロック、男のロマンだよね。あ、話がそれている。
血液型ぜひ当ててください。周りに聞くと、みんなバラバラの答えが返ってくる。血液型性格診断、いかに当たらないかがよくわかる。
性格おしゃべりな内向型。神経質で大雑把。頑固で柔軟。理想主義者で現実主義者。人に冷たくて優しい。熱狂的で醒めている。地道で突発的。コツコツ型でドカーン。客観的で主観的。了見が狭くて寛容。慎重で衝動的。女好きで女嫌い。大人であり子供。短気で忍耐強い。孤独好きで寂しがり屋。分析的で直感的。せっかちでのんびり。波と粒子の二重性。まさに混沌。でも、誰でも少なからずそうじゃね?だから占いって当たるんだよね。

家族について

庭の観察記録のほうにも時々出てくる家族についても簡単に。

クミゴン。4歳年上、さそり座の女。大学4年の2月8日にはじめて会った。およそ趣味趣向が一致しない。結婚したとき、かぶった本やCDは一つもなし!一致するのは内向的で友達づきあいが好きではないことくらいか。
零号機初期条件が悪かったのか、クリスマスに流産。当時、新婚ほやほや家庭が、一気に暗転した。でも、その年の年賀状、私も流産したってのがクミゴンの友達から何通も来ていた。
壱号機電車男。バレンタインデー生まれ。頭の中は小さいころから電車のことでいっぱい。中学生になってから(?)西武ライオンズのファンになり、負けると不機嫌で手に負えない。ハードは父親似で、ソフトは母親似。2015年4月現在、ついに鉄道会社に就職!
弐号機女優あらためトロン。ホワイトデーの翌日生まれ。小さいころ、演技がかった感情表現は面白かった。なぜかこの子だけ普通の女の子っぽいバランス型。しかし、わがまま。理不尽に当り散らす。ハードは母親似で、ソフトは父親似。トロンボーンに夢中。2015年4月現在中3。

渾沌の寓話

渾沌(こんとん)の寓話とは、『荘子』に出てくる話。湯川秀樹が荘子は天才だって言うから興味を持った。それとは別に、もともと私は老荘思想にひかれる資質というか環境にあったように思う。

高校2年の倫理の授業の宿題で、「ソクラテスの現代的意義について」書けという、いまやってもそんなのできねぇってのが出たことある。それに対して、なにを書いたかほとんど覚えていない。が、ソクラテスがどれほどのもんじゃいって生意気盛りだったから、最後に、こんなのは「無益の益だ」と書いた。ここだけは明確に覚えている。そうしたら、先生からのコメントに「昔の中国に老子という人がいて、似たようなことを言っているよ」とあった。思想的には問題がありそうだったが、人間的には好きで、優しい先生だったな。

それがきっかけで老子について少し調べたら(ほんとに少しだ)、確かに当時の私と考え方が似ていた。ってだいぶエラソーだが、自分で考えたというよりそういう考え方を自分の好きなものとして取り込んでいたんだろうな。

老子に親近感を覚えてから、湯川秀樹の影響でその後は荘子だ。『老荘を読む』を買って読んでから、いよいよ荘子が好きになった。

さて、前置きが長くなったが、渾沌の寓話。『老荘を読む』ではなんと、前書きでこの寓話に触れている。しかし、ここでは、湯川秀樹の実兄である小川環樹(湯川は婿養子なのだ)の責任編集である中央公論社の『世界の名著 4 老子・荘子』からそのまま引用しよう(荘子のほうの翻訳は森 三樹三郎であった)。第七 応帝王篇の最後だ。

 南海の帝を儵(しゅく)といい、北海の帝を忽(こつ)といい、中央の帝を渾沌という。
 あるとき儵と忽とが、渾沌のすむ土地で出会ったことがある。主人役の渾沌は、このふたりをたいへん手厚くもてなした。感激した儵と忽とは、渾沌の厚意に報いようとして相談をした。
「人間の身体にはみな七つの穴があって、これで、見たり、聞いたり、食ったり、息をしたりしている。ところが、渾沌だけにはこれがない。ひとつ、穴をあけてはどうだろうか」
 そこでふたりは、毎日一つずつ、渾沌の身体に穴をあけていったが、七日目になると渾沌は死んでしまった。

儵も忽も「にわかに」という意味で、儵忽(しゅっこつ)で、つかの間という意味。いかにも荘子らしい皮肉めいたネーミングだなあ(これを書くのに調べながら「忽」とは「忽然と消える」「たちまち」の「忽」だなと今さらながら知った)。

良かれと思ってやったのに、いじられた渾沌は死んでしまうという悲しいお話だ。目先の欲にとらわれなさんなと小さく捉えることもできるし(そう解釈している文章を読んだことはなくて今思いついた)、大きくは現代の自然破壊を予言していたともとれる。無為自然の老荘思想らしい話だ。

物理学者である湯川秀樹は、観測するとその状態に影響を与えてしまう(元の状態が壊れてしまう)量子力学の不確定性原理との関連について触れていたように思う。

私自身は、頭の中に混沌と浮かんだことを言葉で表そうとすると、もともと浮かんでいたことが壊れてしまう、という自分の中の感覚とぴったり同じだと思った。量子力学をそうとらえたというほうが近いのかもしれないが。

そんなこんなもあって、ハンドルを混沌にしている。これはパソコン通信を始めたときからそうだが、その理由を公開したのは今回(2011年10月20日)が初である。「頭の中はいつも混沌」と当時からプロフィールには書いていたが。


初回更新:2011-09-16 (金) 11:07:34
最終更新:2022-10-09 (日) 16:54:27
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