生物多様性を考える

感想の前に生物多様性に関して

生物多様性に関する本を何冊か読んでいるが、いずれもなんだかすっきりしなかった。私個人は虫が好きなので、生物多様性はそりゃ守ったほうがいいだろうと漠然と考えるが、生物多様性って、そもそも何を指し、そして、本当にそれを守る価値がそれほどまでにしてあるのか?というのはここ何年も疑問だった。

生物多様性に絡んで、胡散臭いものがいっぱい目につくんだな。単純に、いろんな生物がいたほうが面白いじゃん!って私は思うのだが、生物多様性を守れと叫び、実際に活動しているヒトの言動を見ても、あれ?おかしくね?というのにしばしば遭遇する。

生物多様性といっても、大体ヒトによって見ているところ、重視したいところが違うんだな。あるヒトが守りたいのは大型の哺乳類であり、あるヒトは鳥であり、絶滅しそうな生物であり、小笠原などの固有種であり、在来種であり、ホタルでありと。だからいろいろ食い違う。外来種や遺伝子汚染の問題を持ち出すと、それが明らかになったりする。

感想など

で、本書だ。この本は今まで読んだどの生物多様性に関する本よりも(数冊読んだだけだが)どの文章よりも(ちょろっと読んでいるだけだが)、あれやこれやすっきりする。それは著者が時折皮肉などを混ぜながらも基本的に極めて論理的に文章を展開しているからだろう。

本書のタイトルにも使われている「生物多様性」という言葉そのもの、その歴史についてが初めに出てくる。ここを読んで、後ろからひざをカクンとやられるような思いだった。それはなんという皮肉。そして、ある意味謎が解けた。

この本はとてもお勧めだが、そうは言っても多くのヒトは読まないだろうから、本意ではないがここに少しだけ書いておこう。

  • 「生物多様性」という言葉について
    • 生物多様性(Biodiversity)という用語は今から四半世紀前にはなかった。実際にたった今、私が使っている『リーダーズ英和辞典(EPWING CD-ROM 版)(C) 株式会社研究社 1997』で"Biodiversity"を試してみたら、出てこなかった。

      生物多様性とは、生物学的多様性(Biological Diversity)からlogical(論理的)を取った言葉だった。道理でハチャメチャなわけである。

      生物多様性とは何を指すのか、まじめに考えれば考えるほどわからなくなっていた私だが、これは当たり前だった。そもそも何を指すのかあいまいにした用語だったのだ。

      そして、論理を引っこ抜き、情念に訴え、言葉の定義の多様性を受け入れたからこそ、この生物多様性という言葉は、広まったのだ。なんという皮肉だろう。しかしまた、生物に限らず一般的に言って、多様性というものがいかに大切かをこのプロパガンダのためのキャッチコピーが、その普及のされ方でいみじくも語っているかもしれない。これもまた皮肉な結果だ。

さて、生物多様性とは

  1. 種多様性
  2. 遺伝的多様性
  3. 生態系多様性

一般に上の3つを指すという(以前読んだ本にも書いてあったと思うが)。種多様性の議論のために、種がどれほどいると調べられているか軽く紹介した後、種とは何かという話に入っている。

著者である池田清彦の昆虫採集仲間である養老孟司の本書の書評にも書いてあるが、著者の種の定義が一般的ではない(著者は進化についても以前から独自の見解を発表している)。そして、そこから遺伝的多様性も含め論理的に議論を積み重ねているので、この種の定義が受け入れられないと、すべてが受け入れられなくなるかもしれない。ここは本書を読む上で、非常に重要なポイント。亜種や遺伝子汚染の問題もすべてそこに絡むからである。

何度か本書を読み返してから、昨日届いたばかりの『進化 生命のたどる道』を電車の中で読んでいて、ダーウィンの慧眼には今さらながら驚いた。P213、多少文脈は無視してそのまま書き出す。

博物学者が「種」について議論するとき、学者ごとに、種とは何かについて異なる考えをもっているのを見ると、実に笑える。定義できないものを定義しようとするから、そうなるのだろうと私は思う。

私は「種」というものは、互いによく似ている個体の集まりに対し、そうするのが便利なので、任意に与えられた言葉だと考えている。

ダーウィンは種というものをそもそも定義できないと考えていたんだね。その流れをくむネオダーウィニズムで種の定義が苦しくなるのは必然だったのだ。

ネオダーウィニズムを批判している(限定的には有益と認めている)著者は、だから別に定義できるという。くわしくはご自身で読んでいただいて判断してもらうしかない。

種の定義についての話が長くなってしまったが、その理由は先に述べた通りなので致し方ない。

本書の後半は、保全と政治について書かれている。保全論の都合のよさを暴き出すあたりは、読んでいて胸のすく思いだ。怒り狂うヒトもきっといるだろう。

著書のスタンスは以下のようなものであり、私もこれには同意である。

 自然は人間の思惑とは無関係に変わっていくが、自然をどうコントロールするか、あるいはしないかの決定には人間以外の生物は加われない。どのような生物多様性を守るべきか、どの種を優先的に守るべきかの判断基準は、現在そして未来の人類のよりよい生存のためにはいかなる選択が一番適切かというところ以外にはないのだ。
 問題は何をより良いと思うかが個人により異なることだ。齟齬があれば調整する必要がある。これは政治であろう。だから、いかなる生物多様性を守るべきかは政治問題なのである。

それにしても改めて生物というのは一筋縄に行かないものだなと思う(くわしくはとにかく読んでください)。それもこれも生物というものは、進化というメカニズムを持ちつつ、生(自己保身と子孫繁栄)へのすさまじいまでの執着を持つからだろう(そうでなければとっくに滅んでいる)。

当サイトへの来訪も先月(2012年5月)の月間キーワード検索の第1位が「盗撮の館」であったことからも、ヒトでも生(性)への執着がどれほど強いかよくわかる。おっと、これは蛇足だったか。

まだ書き足らないことなど多々あるが、ぜひ多くの人に読んでほしい本だ。賛否両論、好き嫌いが激しく?出るのではないかな。多様な議論が巻き起こることを私は期待する。

購入・各種データ

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生物多様性を考える (中公選書)

混沌の書棚>環境問題・生態系・生物多様性>生物多様性を考える

初回更新:2012-05-31 (木) 02:53:19
最終更新:2012-06-01 (金) 13:28:17
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