運を育てる―肝心なのは負けたあと

私が多大な影響を受けた将棋、そして米長邦雄

米長邦雄が他界したのを知ったのは、ツイッターだった。いつものように家に帰ってからすぐにパソコンを立ち上げ、流れてきた一文を見て絶句した。癌だったことを知らなかったし、現役を引退していたことすら知らなかった。いつだったか、コンピューターに将棋を負けたことは知っていた。これについては思うところがあるのでまた別のところで書くことになるだろう。

「追悼」という言葉を使おうと思ったのだが、念のため辞書で調べてみたら、「悲しむ」という意味があるようなので、それはやめることにした。不思議と悲しくはないのだ。直接面識があるわけではないからかもしれないが、私の中で米長邦雄が息づいているからだと信じたい。

私が将棋を覚えたのは小学校5年のときで、それは多分秋だったと思う。それから何ヶ月かしてだろうか新聞の将棋欄も見るようになった。当時の読売新聞は十段戦を主催していた(後に竜王戦に発展的解消)。今でも時々新聞の将棋欄は見るが、はっきり言ってそこまでよくわかりはしない。しかし、観戦記は短いながらも読み応えがあり、ついつい読んでしまうことも多い。

その新聞の将棋欄で、私は米長邦雄のファンになった。当時、記事を主に書いていたのは、陣太鼓、山帰来という人たちだった。山帰来さんについては、この『運を育てる』の中にもそのお葬式のときのことが出てくる。思わぬところで再会した思いだった。

米長将棋の真髄は、今でも本当のところはきっと素人の自分には分からないだろう。当時米長は、棋聖位を保持していた(今でも永世棋聖)。これがかっこいいと私は思ったのだ。「きせい」を「ぎせい」と読んでいるくらいなにも分かっていなかったが、それだけで米長ファンになってしまった。観戦記でその人柄が紹介され、その思いは強化された。きっかけはかなりいい加減だったが、"さわやか流”を好きになるのは結局は必然だったか。

小学校6年から中学生のときに買った本は、ほとんどが将棋の本だ。本棚は将棋の本ばかりになった。最年少の谷川名人が誕生したのもこのころで、その著書『疾風 谷川将棋』は私の愛読書の一つになった。表紙を眺めているだけでも幸せで、紙の匂いも好きだった。今でもあの匂いを超える本には出会っていない(これは大真面目に言っている)。中学生のころは、学校の勉強よりも将棋の勉強をしている時間の方が長かったのではないかと思う。

『人間における勝負の研究』を初めて立ち読みしたのは、高校生のころだろうか。ちょっと記憶があいまいだ。米長邦雄が四冠王になったのは私が高校生のときだ。これははっきり覚えている。自分のことのようにうれしかった。しかし、将棋を友達と指したのは、高2くらいが最後だろうか。このあとは将棋から離れていく。

米長名人誕生を知ったのは、おそらくこの『運を育てる』を本屋でたまたま見つけたからではないかと思う。新聞ではなかったと思うんだなあ。ましてテレビでもない。今ならネットで知っただろうが、当時はインターネットをやっていない(パソコン通信はやっていた)。

間違いなく、他の多くの本同様、最初は立ち読みだった。それから買った。どの本屋で買ったかどうしても思い出せない。出版されているのは私が就職する前年だ。就職してから、それも結婚してから(就職2年目で結婚)買ったような気がどうしてもするのだが、それは記憶違いとしたほうが、正しそうな気もしている。確実なのは、就職して3年目に職場の先輩に貸して、それ以後この本が私の手元にないことだ。

今回を含めて、少なくとも3回は図書館から借りて読み直している。

感想など

「第七章 奇跡の起こし方」は、私の生き方そのものに多大な影響を与えた。

負けることを前提に生きてはいけない。負けることを前提にして過ごした一年で、一生を棒に振るくらいの傷を負うことになる。たとえ1パーセントでも、可能性があるのなら、負け犬になってはいけない。敗北や失敗を前提に行動すると、その悪影響は、その行動の結果だけに留まらないのである。わずかな確率であっても勝利の目があるなら、それを求めて全力投球しなければならない。その結果、敗北したとしても、それは大したことではない。敗北したという結果よりも、勝利を求めて全力投球したという過程のほうが大切なのである。

誤解がないように言っておけば、やはり結果は大切である。特に仕事では結果がすべてだ(そんなあたりまえのことが分かるようになるにはかなり時間がかかったが)。もっと大切なことは結果を出し続けることだ。その中で結果が出ないこともあるだろう。すべてに勝つことはできない。それでは神様だ。勝率を上げると考えるのが現実的だ。そうしたことを考えると、敗北や失敗を前提に行動すると、その悪影響は、その行動の結果だけに留まらないというこの言葉は、とても重みを持つ。たとえそこで負けたとしても、人生が続くかぎりまだ次があるからだ。

私はこれをふまえて、今から7,8年前だろうか自分で次のような自分なりの言葉を作った。

可能性があるかぎり、全力を尽くす

日常の小さなことから仕事上の大きなことまで、何度もこれを唱えては、自分の支えにしてきた。

将棋は、展開にもよるが、たった一手で優劣はもとより、勝敗がひっくり返ることがざらにあり、よほど大差がついたものでないと最後まで気が抜けない。だから、最後まできちんと勝ちきるのは容易ではないし、最後の最後まで粘って粘ってなんとか逆転なんてことも頻繁にある。負けているのをひっくり返すのは将棋の醍醐味の一つだ。これは私の生き方にも多大な影響を与えた。

今までさまざまな場面で、不利な状況を何度ひっくり返してきたことだろう。そのたびに自分に自信が持て、周りからも賞賛された。私の一番の強みは粘りになっている。それもこれも将棋を通して得られた姿勢であり、それを強化したのが上に引用した言葉であり、そしてラストチャンスを生かしたこの章の主人公である伊藤能である。さらにこれに欽ちゃんこと萩本欽一が絡んだいるなんてことは、一体誰が想像するだろう。多くの人にこの章だけでも読んでほしいと思う。

「逆境はときに人間にとってつらいことがある。しかし,順境によく耐えうる人1人に対して,逆境に耐えられる人は100人もいよう」(カーライル)

この言葉が紹介されているのが「第4章 馬鹿になれるか」である。この章は、深い。「運・鈍・根」という言葉も知ったが、究極の「鈍」については、未だにぼんやりとこんなものかなあとしか、浮かばない。

順境の難しさについては、順境のときによく実感している。このカーライルの言葉も反芻している。そのときあわせて思い出すのは、「第9章 7度目の名人戦」の最後の優勢になっても安全策を採るなである。

1時間考えて、最も激しい攻めの手を選んだ。攻守の要となっている飛車を見殺しにして、敵陣玉頭に歩を突き出した。その手から14手で中原名人が投了した。

この『運を育てる』をはじめて読んでから、大分たってからだったと思う、実際にその棋譜を見たのは。まだ中盤だったのに、一気に終局したという印象だった。ここだけを切り取ると、まあ、これは将棋だからということになってしまうかもしれないが、安全策の現状維持は、回りがどんどん変化しているために実はうまくいかないことが多い。リスクを犯して、攻めるという気持ちを思い起こさせてくれるエピソードだ。

「第1章 生涯の女運を賭けた勝負」は子供を持つ親ならば読んでおきたい。一番役に立ったのは、

”足らぬものは余る、余るものは足らぬ”
 江戸時代の天才相場師、本間宗久の残した言葉である。足りないと思っているうちは必ず間に合う、いくらでもあると思っていると、いつの間にか足らなくなる。

という言葉である。仕事をしていて、時間がねーと思ってがんばっているとけっこう何とかなる。時間はたっぷりあると思っているとぜんぜん仕事が進んでいなくて、やるべきことがやれていなかったりする。今でも前者のことは頻繁に起きているし(計画性がないから?)、恥ずかしながら後者のこともしばしば起こる。逆境に対して、順境に耐える難しさともいえるだろう。

と、ここまで書いて思い出した。この本、少なくとも結婚する前に読んでいる。当時付き合っていたクミゴン(現在妻)と電話で話していたとき、「このペースじゃ仕事が終わらない」というのを聞いて、自分の体験とこの話をふまえて、「絶対終わるよ!」と励ましたのを覚えている。もちろん、実際に終わったそうだ。いや、記憶違いか。この言葉はふまえていなかったかも…。まあ、それはどちらでもいい。人生で何度も実感していることであることだけは間違いない。それは今後もだろう。

「第3章 「惜福(せきふく)」で生きる」には考えさせられた。『三国志』における本当の勝者は誰なのか?という視点、「第4章 馬鹿になれるか」にも通じるものだろう。会社内における自分のポジション、出世というものについて、私の価値観に多大な影響を与えた。

「第5章 トップの気概とはなにか」、これがまたいい。ここに書いてあることもいつも意識している。羽生竜王の香典の話はとても分かりやすい。そして、平社員のときから社長になったつもりで目の前の仕事をこなすという話。私が勤めている会社にも、より高い見地に立って仕事をしているかというような人事の評価項目があるが、まさに同じことである。会社への不満が多い人は、たいていこの項目が低評価となる(建設的な批判の場合は、不満ではなくて意見になる)。

「第8章 董が立って花が咲く」の女房への伝言がまたいいエピソード。あえてここではそのことについては書かない。

「第6章 女神の好きな国・嫌いな国」は、内容が古いし、ここだけは読み飛ばそうと思っていたのだが、これにはちょっとではなく驚いた。

謙虚さを忘れてしまったものは嫌われる。ごく近いうちにウォール街の株価が大暴落して、1929年の大恐慌のごとき経済破綻が再来するか、ドルが暴落して1ドル100円はおろか、80円、70円といったレベルまで売られ、アメリカ国民の資産が大幅に目減りするといった事態が、もうすぐ起きても不思議ではないほど、アメリカは女神に嫌われている。

すぐにではなかったけれども起きましたね、リーマンショックに円高ドル安。円高で困っているのは日本のようだけど。

購入・各種データ

画像も文字もアマゾンにリンクを張ってあります。画像は文庫本で、私が慣れ親しんだ単行本の表紙とは異なり違和感がある。文字の方は単行本へのリンク。ともに中古しかなく、単行本は今なら1円+送料で買える。米長ファンで未読ならば、絶対に買いだよ。そうでなくとも、余裕で投資した額は回収できる。

運を育てる―肝心なのは負けたあと

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初回更新:2012-12-22 (土) 08:41:25
最終更新:2012-12-25 (火) 07:25:55
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