野球にときめいて 王貞治、半生を語る

感想など

電車の中で、家族で行った焼肉屋で、読んでいてなぜか何度も目が潤んだ。あくまで、なぜか、である。他の人がそうなるかどうかは、まったく保証しない。

私は、子供のころから、王選手の大ファンだった。私がプロ野球を見始めたのは、長嶋監督2年目からだった。だから、長嶋選手の現役時代は映像でしか知らない。一方で、ついさっき、まもなく中学を卒業するライオンズファンの電車男(息子)が、「長嶋と王、俺、時々、どっちがどっちかわからなくなっちゃうんだよぉ」と言うのに衝撃を受けた。「お前、ぜんぜん違うだろ!」クミゴン(妻)は「ちょうど正反対だよ」と言ったか。「一本足打法も知らないのか!」「見たことないもん」「あとでユーチューブで探せ!」

その後、映像で一本足打法を見た電車男は驚いていた。そして真似をし始めた。したくなるよね。「違う、足のあげ方はこうだ」「こう?」「違う、こう。もっと足をまっすぐ高く」体が傾いてる…。子供のころ、さんざん真似したものだ。「この状態で小学生二人がぶら下がっても大丈夫だったんだ」「ええ?!」と自分のことのように自慢。それであれだけホームランを打ったのだ。どうだ、少しは偉大さがわかったか。

本を読んでから、そして、息子とのやり取りを通じて感じたのは、今の時代、子供や若者ののいいモデルになるスポーツ選手がいないのではないかということ。正確にはいるのだろうが、それをいい意味で偶像化して報道していないだろう。時代的にも確かに難しいかもしれない。偉大さよりは身近さの時代だろうから。ネットやケータイの普及はそれを後押しする。それでも、と思わずにはいられない。だからマスコミが大切なんじゃないか。

努力が軽んじられるとしたら、努力をして結果を出したモデルがないからだろう。この本には書かれていないが、ダイエーの監督時代、不振の小久保選手に次のようなことを言ったという。

報われない努力があるとすれば、それはまだ努力とはいえない。

努力に関して、落合の『采配』にもまったく同じこと書かれている。バットを1回でも多く振ったやつが勝つ。こういう泥臭いことをまじめにいう人が減ったんだよなあ。一見簡単に誰でもできそうな軽い雰囲気で書かれているビジネスのハウツーものも、まともに結果を出そうとすれば、かなり努力を要することはすぐにわかるんだけどね。以下は、本書に書いてあったこと。ここだけは切り抜いておこうと思った。

 考えれば考えるだけ泥沼に入り込んでいくかもしれない。もっと不安に駆り立てられるかもしれない。でも、スランプからはい上がった時には、これまで見えなかった何かが見えるようになるだろう。
 いくつもの壁にぶつかっては乗り越えていく。その努力が、後の三冠王にもつながっていくことになります。

王が二卵性の双生児であったことをこの本で初めて知った。父はともかく当人が中国籍であることすら知らなかった。甲子園の血染めのボールのことを聞いてはいたが、そのとき優勝したというのも知らなかった。そのときはてっきり負けたのかと思っていた。子供のころの野球の試合中に荒川コーチ(当時は選手)に声をかけられ、「左で打ってみなさい」と言われ、それから左打ちになったのは王選手を特集したアニメで観て知っていたが、その出会いがどこまでも偶然が重なっていたのは初めて知った。その他、現役を引退してからの指導者としてのことなど、私の知らなかった王貞治が満載。よく対比される長嶋のことも興味深い。一般的なイメージと実像が逆だと言うのも読み進めていくうちに一部納得。

王選手や王監督のファンはもちろん、野球を良く知らない人にもお勧め。特に若い人に読んでみてほしいなあ。

聞き手の読売新聞の伊藤哲朗さん、いい仕事してますねえ。ありがとう。

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野球にときめいて―王貞治、半生を語る

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初回更新:2012-02-27 (月) 09:26:01
最終更新:2012-02-27 (月) 09:26:01
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