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はじめに

混沌の生い立ちの一部

私は、どういうわけか知らないが、小さいころから虫が好きだった。幼稚園の年長の秋には、毎日のように同じ友達と一緒に遠くまで歩いて、カマキリを取りに行っていた。今にして思えば、その距離は大人では15分くらいのものだろうし、時期としても2〜3週間だったのではないかと思うが、毎日毎日延々歩き、来る日も来る日もカマキリを探しに行った。とにかく、そんな風に記憶している。もちろん、カブトムシやクワガタも好きだった。

小さいころの愛読書は、昆虫の図鑑。図鑑は他にもあったが、学研の昆虫の図鑑は、記憶にある限り、最初からボロボロだった。記憶以前の小さいころから何度も何度も見たのだろう。背表紙の部分はセロテープで補強したあとも残っていた。それでも泣く泣く捨てたのは、私が結婚してからである。もう1冊、小学校低学年のときだと思うが、小学館の昆虫の図鑑も買ってもらった。こちらはまだ現役であるが、やはり背表紙が崩壊寸前である。お別れの日も近いかもしれない。図鑑が古くなって捨てるというのは、感覚としては、死別に近い。

小学校何年生のころからか定かではないのだが、アゲハの幼虫を飼うようになった。団地の庭にあるサンショウやミカンの葉についている幼虫を葉っぱごと拝借してきて、何度も蛹にまで育てた。そして、うちのベランダからは何羽ものアゲハが飛び立っていった。冗談半分で、デザートで食べた夏ミカンの種を蒔いてみたら、芽が出てきて、やがてそのミカンの木(といっても悲しい鉢植えなので高さはせいぜい50cmほど)には、アゲハが卵を産み、幼虫が育つようにもなった。もともとはミカンを作りたかったのだが、できたのはアゲハだった。

私が中学にあがるときに、引越しをした。隣の市であったが、それまで住んでいたところよりずっと緑が少なかった。また団地住まいであるが、新築の大きな規模のマンション群であり、土や木が新しく、何年もの間、夏になってもセミはほとんど鳴かなかった。セミが鳴き始めると、「おお、セミが鳴いてるよぉ」と感動したくらいである。しかしそれも束の間、すぐに鳥に食べられてしまうということもしばしばだった。アゲハを見ることも滅多になかった。ただ、それでも中学生の夏にはコオロギやクワガタは飼った。小学生のころは、虫が死ぬと「死んでいない!」と泣き叫んで、それを受け入れることがなかなかできなかったが、中学生にもなると虫の死というものについては、ずっと達観するようになった。

高校生前後は、やらなければならないことの増加と興味の多様化により、相対的に虫との付き合いは減る。大学は、私の趣向性から理系以外は考えられなかった。生物関係に後ろ髪を引かれつつも、高2のときに知ったアインシュタインの影響が大きく、物理に行くことにした。これこそ、小さいころから好きだった理科の、自然科学の王道だと思った。古典的な物理学帝国主義である。また、生物に行かなかったのは、当時から人気があったのは遺伝子工学だったが、これに対して非常に嫌悪感があったからである。一番好きな虫の生態を研究するなら、日本の場合は、農学部などになりそうなのだが、これも害虫の研究が主なようだったので、パスだった。私が知りたいのは、生きたままの、ありのままの純粋な姿であり、研究したことを応用して、ヒト様のために役立てようというのは、これ以上自然を捻じ曲げることに加担をするのは、当時としては最も忌むべきことだった。それは物理でも同様で、だから一番基礎的で一番純粋な素粒子に進みたいと思った(実際にその願望は叶った)。

大学2年くらいからバリバリとパソコンを使うようになり、それが今でも役に立っている。これと保存則が働くように物理への興味は弱くなっていった。やがて就職、結婚し、子供が生まれた。ヒトの子は今まで育てた動植物の中でも、かなり特殊で興味深いものである。そのほんの一端は記録もしてある。当然、当時の観察の中心は、ヒトの子である。

そのペットは大きくなると、電車とともに植物にも興味を持つようになる。特にタンポポである。外でタンポポを見つけては、「あった」と言って摘んできた。ならばと、私の実家から取り寄せた図鑑から、学研の『花』と小学館の『植物』を与えてみたら、『植物』のタンポポのページが大のお気に入りに。「コオニタビラコ」「オニノゲシ」など私は聞いたこともない意味不明の発音をし、そのうち絵を描けときた。それからである。私が身の回りの雑草に興味を持つようになったのは。知れば知るほど興味が深まった。私の母親は「男の子を産まなければ、これほど虫に興味を持つことはなかった」と言っていたことがあるが、私にとっては「息子がいなければ、これほど雑草に興味を持つことはなかった」と言うことができる。

2002年の11月に庭つきの一戸建て住宅を買い、ここから新たな展開が始まる。この庭で雑草の観察ができると思って、私はわくわくした。ヒマワリも育てたりできるなと。庭の観察にはまっていく様子は、衝撃の真犯人以下の文章に書いてある。これは自分でもまったく予想していなかった展開だった。雑草を経由して、再び大好きな虫に帰ってきた。それもパワーアップして。それがこの庭の観察である。

「庭」の定義

雑草について調べるのに、いろいろ図書館から本を借りた。その中で一番よいと思ったのが『校庭の雑草』全国農村教育協会)である。その本の「はじめに」に次のような記述がある。

「校庭」とは、学校の敷地内とは限定しない。学校の周辺、空き地や公園、土手、道ばたなど観察のフィールドになればどこも「校庭」になり得る。

ここでいう「庭」とは、この「校庭」とまったく同じである。もちろん狭い意味では、自分の家の庭だが、私が出かけるところは、どこでも「庭」である。強いて言えば、ヒトの手が入っており、それでいて、ヒトの意図とは無関係もしくは意図に反してできている環境が私好みの「庭」である。そして、そこに生きる生物が観察の中心である。そのため、普通ならば主役となる園芸品種などはむしろ脇役になる。人間が作り出した不自然さに食い込む自然、それこそが庭の観察のテーマである。

生物の分類と生態〜庭の観察を超えて〜

いろいろ観察するのに、生物の名前がわからないと不便で困る。虫や花の名前を知るのは観察の第一歩だろう。言葉というのは不思議なもので、名前を知るだけでその生き物が急に身近になる。「雑草という草はない」という昭和天皇の名言もある。

名前の由来を知るのも楽しいが、生態を深く知ろうと思うと、生物の系統と分類も必要になってくる。そして、それには進化が絡んでくる。そもそも進化を抜きに生物の多様性は語れない。そして、進化について知るには、地球の歴史、それには宇宙の歴史、とすべてが関係してくる。宇宙の始まりはビックバンであり、それには素粒子についての知識も必要になる。

また、生態を知るには、化学の知識も必要になってくる。「一寸の虫にも五分の魂」があるかどうかはここでは置いておくとしても、生物の体は物質でできているからである。生命活動とは、かなり控えめに言っても、きわめて複雑な物質の相互作用である。

このように庭の観察を深くやろうとすればするほど知識が必要になってくる。それも生物だけでなく、化学、物理、地学と自然科学の全分野にまたがる。そしてこれこそ、私の望むところである。私は物欲はあまりないのだが、精神的にはかなり貪欲である。庭の観察を通じて、ミクロからマクロまでいろいろなことを知りたい。そして、それを少しでも多くのヒトと分かち合いたい。

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