庭の観察
身近な自然の観察記。すぐそこにある自然を通じて、生物の多様性と神秘を味わい、クォークから宇宙まで想いを馳せる。
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地球温暖化について、ちょっと調べてみると、まともな本には「地球の平均気温?」で疑問を書いたとおり、地球の平均気温というものがいかに心もとない概念であるかきちんと書いてある。地球の平均気温という数値がしっかりとした根拠を持つものでなければ、地球温暖化の前提そのものが覆る。

100年以上前の気温の変化については、複数の研究者で驚くほど結果が違っている。また、この100年の変化もやはり必ずしも正確なものとはいえなさそうだ。

思ったとおり、観測点にばらつきがある。また、百葉箱で毎日決められた時刻に正確に温度を測っているかどうか怪しい地域も多い。先進国はほとんど問題ないと思うが、それでも、百葉箱が古くなるとペンキがはげてきて黒い部分が増えるので温度が上昇し易いだとか、周りに建物が増えて風通しが悪くなり温度が上昇し易いだとかそんな問題が常に付きまとう。(後者ならば都市化の影響であり、地球の温暖化などという大規模な問題ではなく、都市部の温度上昇というもっと局所的な問題になるだろう。もちろん、これはこれで問題である)

笑ってしまったのが、人工衛星からの測定。原理的には、まさに地球全体の平均の気温が測れるはずなのだが、肝心の人工衛星の高度が徐々に下がってくるのでそのための補正をしなければいけないといちゃもんがついた。しかし、それも補正の仕方によりかなり結論が違うものになってしまう。

実際に実験をやったことのある人ならば分かるはずだ。測定数値というものは常に誤差を含み、その誤差をいかに補正するのが大変であるということが。たとえば、木造の家と鉄筋コンクリートの建物とどちらの方が室内の温度が高いか、平均温度を測ることを考えてみればいいだろう。毎日決められた時間、決められた複数の場所で温度を測るとする。どこの温度を測定するのかきめることからして問題だ。さらに、毎日、判で押したような正確に同じ生活をしないかぎり、そのままの測定数値は意味をなさない。料理を作った日と外食した日では台所の温度はまったく違うだろう。これらをどう補正するかはいろいろな方法がある。当然その補正の仕方によって結果も変わってくる。一筋縄でいかないのだ。

地球の平均気温とはどのように測定しているのかということをきちんと押さえないかぎり、地球温暖化について論じるのは無意味である。
クロオオアリクロオオアリ自体は誰でも見たことあるような普通種だが、うちの駐車スペースにいるのが珍しい。しかも真夏でなくこんな時期である。女優の保育園の園庭では夏によく見る。デジカメを持っていって撮影しようかと何度も思ったくらいである。

日本にいるアリとしては大きいが、これでも1円玉には楽に乗っかるくらいの大きさ。

以下はアップ。
雪虫今日は午前に3時間ほど職場で仕事して、あとは久しぶりにフリー。電車男と電車の写真を撮りに行く約束もしていた。お昼の仕事帰りに、そして、15時過ぎについに来た『日本産幼虫図鑑』(学研)を図書館に借りに行く際の往復時、そして、電車男との約束を果たす16時過ぎのとき、白い小さな虫が単独で飛んでいるのが目に付いた。春先にも似たようなものが飛んでいるのを見た。同じものかどうかは分からないなと思いつつ、とにかく今日はよく見るなとちょっとだけ気に留めていた。ワタムシ電車男が写真を撮っている間、正直なところほとんど退屈である。私はこれまた図書館で借りた『日本原色カメムシ図鑑』(全国農村教育協会)をぱらぱらめくって眺めていた。去年ホシヒメホウジャクの幼虫と蛹がいたところにも行って、ヘクソカズラを観察もしてみた。やがてこちらに向かって手を振っているので、そろそろかと思い、撮影場所に私は戻った。
「もう帰ろうよ」
「いや、まだ粘るね」
この男からこんなせりふが出てくるとは思わなかった。うれしくなったので、もうちょっと待つことにした。電車の写真を撮り始めてから30分以上たっていた。すると、ふわふわと白い例の虫。暇だったので、左手でふわっとつかんでみた。あっさりつかまった。電車男に撮影させたが、すべてピンボケ。やつは近くのものを撮るのになれていない(まだ撮り方を教えていない)。デジカメと本を交換して、とその間にいったん逃げられた。しかし、再キャッチ。思ったよりもつかまえるのは楽だ。つぶれることもない。なんとか撮影したのが上の2枚。そしてまた逃げられた。今度は見失ったのでそこまで。

飛んでいるときは白いところしか見えないが、実際には、グレーの部分が体の本体で、おなか(?)のあたりから白い綿のようなものがもやもや出ているような感じだった。春先の白い空中浮遊物(※)は全体が白っぽかったので、別物というのが分かる。リンゴワタムシとかそういう類のアブラムシの仲間のワタムシであろう。

(参考)
http://www31.ocn.ne.jp/~mushitachi/essay004.htm

(※)きちんと調べたら、全然春先ではなかった・・・。
レンゲソウ発芽デジカメを手に取ると、ほこりをかぶっていた。使うのは19日以来のようだ。ということは、庭を観察するのも久しぶりだ。ヘチマの付近は出勤前などちょくちょく見ていたが、庭は念入りには見ていない。レンゲソウの種をばらまいたのは、17日。あれから10日たった。やはりというべきか、ほとんど発芽していない。しかし、少し種子が膨らんだような気がした。それにしても、ずいぶんと広範囲にばらまいたことに改めて気がつく。しばらくして、発芽しているものを見つける。相当低い発芽率だ。まともに地面に触れているところが発芽したようだ。地面からの水分が発芽条件を満たしたか?ここ何日かは、日中は暖かい日が続いているので、これも好材料だろう。

今年は暖かい。私はまだ通勤でコートを一度も着ていない。ちなみに、去年はこんな記録がある。

今年は夏が暑く、9月も暑く、10月に一時期急激に気温が下がったと思ったら、最近また暖かい。
昨日なんて、真夜中に一匹アオマツムシが鳴いていた。カネタタキ?も複数鳴いていた。


これは11月3日。その後の記録は残念ながらない。
ホシヒメホウジャクの幼虫去年の文化の日の撮影。ヘクソカズラにいるホシヒメホウジャクの幼虫。

眠い。今日はここまで。
あまりに安易に使われる「地球の温暖化」という言葉に対して、いい加減嫌気がさしてきたので、もう少しくわしいことを知りたいといくらか関心の輪を広げていたところ、面白いところにぶち当たった。

それが『環境問題』を考えるというサイト。はじめにたどり着いたのは、「CO2温暖化脅威説は世紀の暴論」という論文。最初に出てくる「気温の変化がCO2濃度の変化に先行する」というのは、うれしい驚き。今まで気温の変化と二酸化炭素濃度の変化はぴたりと一致していて、因果関係はともかく、少なくとも相関関係はあるんだなと思っていたが、まさか、二酸化炭素の濃度の変化が気温よりも半年から1年遅れているとは、考えてもみなかった。これ以外にも全体的に議論の仕方や視点など、とても興味深い。まさにこういうのを望んでいた。しかし、感情をあおる書き方をあえてしていないので、一般受けはあまりしないだろう。また、文章ももう少し平易で分かりやすくあればよいのだが、どうしても硬い。

いくつか、引用してみる。

以上述べたように,CO2温暖化脅威説は11の事実から否定される.CO2温暖化脅威説では,まず人間の活動を考えた.しかし,人間の活動はまだ地球全体に及ぼすほど大きくはない.したがって,より根源的な事象としてまず太陽活動,次いで地球の受光能,そして人間活動の地域に及ぼす影響の順に考えることである.


3番目に「人間活動の地域に及ぼす影響」にも言及していることを忘れてはいけない(せっかちな人は、きっとここを読み落とす)。私自身も地球の温暖化というよりも、まずはヒートアイランド現象として局所的に考えたほうがよいのではないかと思っていたので、「地域に及ぼす影響」という表現を見つけたときは、うれしかった。さらに、昨日かおととい読んだ文章では、太陽活動(黒点の影響)が大きいということが、ここ10年よりももっと長いスパンでの気温の変化とともに論じられており、そこでの話とも合致した。ただ、今までの私には「地球の受光能」という考えはまったくなかった。そういう意味でも新鮮だった。

 CO2温暖化脅威論がナンセンスである以上,この脅威を防ぐためのCO2対策もナンセンスということになる.もしも,文明批判が目的であれば,結果として発生するCO2を論ずるのではなく,石油など資源の大量使用を直接論ずるべきである.


地球温暖化よりも本質は「石油化学文明」の問題だろうとここのところ考えていたので、これまた我が意を得たりであった。もっというのならば、究極的には人口問題だと私は思っているが・・・。

今日のところはこれくらいに。
あとは各自が読んで、各自で考えてもらえればいいかと。
キク科の花2つ前の記事のオランダカイウの生えているすぐ近く。ここは崖。園芸植物が逸出したもの。この手のキク科の花は、私にはみんな同じに見えてしまう。なんという花でしょう。誰か教えてください。

左の手前に写っているのは影の形からしても、オニタビラコかな。
キク科の花花が見やすいようにアップ。
逸出したオランダカイウ
ひょんなことから、ここに写っていることに気づいた。左上のほうの傾斜がややゆるやかなところに見える白っぽいものがそれ。
ウラジロチチコグサのロゼットうちの庭をはじめ、そこらで普通に見るウラジロチチコグサ(裏白父子草)だが、あまりに立派なロゼットだったので、思わず撮ってしまった。シャープネスをかけたままになっていたので、ちょっと葉がざらついた感じに写ってしまった。葉の裏は文字通り白い。

上のほうにはオヒシバが割り込んで出演(真ん中を突っ切って枯れ気味なのも写っていた)。この土地でずいぶん前にオヒシバの写真も撮ったが、まだ記事にしていなかったなあ。
逸出したオランダカイウ3月18日にオランダカイウを撮影して以来、ちょくちょく見に行くが、結局、ずうっと咲き続けているようである。

自分の影も写ってしまった。
オランダカイウ(カラー)何度見ても悪くない。白い仏炎苞が鮮やかだ。

あきらかに栽培しているものが逸出したものだが、はたして定着してどれくらい経っているのであろう。
ニンジンのつぼみそういえば、私はニンジンの花を見たことないかもしれない。普通、花が咲く前に収穫してしまうと思うので、そのためだな。こうして見てみると、確かにセリ科の花の特徴が出ている(まだ咲いていないけど)。
ニンジン畑こんな感じのニンジン畑。まあ、兼業農家だろう。畑を継ぐ人がいなければ、住宅に変わっていくのだろうな。そこ、ここのように。
カビの生えた幼虫レンゲソウの種をばらまく直前に発見。白い幼虫が死んでから青いカビが生えたのかと最初は素朴に思っていた。しかし、おそらくチョウやガの幼虫で白いのはほとんどいないし(カイコは自然界では生きていけないし)、この写真を見ると、白いものもカビのように見える。

去年、こんな文章を書いている。

「うわあ、ちょっと見てよこれ、すごい」
「どうしよう、これはちょっと切ってもらえないよ」
「写真を撮りたい!」
2個のレモンのうち1個のちょうど半分にびっしりカビが生えていた。
境界領域は白で、半分は見事にふわふわのじゅうたんのように少しくすんだ緑のカビが生えていた。
悪臭はなく、むしろもともとのレモンの匂いと胞子の匂いが混ざっているのか、悪くない香りだった。
そんなこともあり、まじまじと眺めた。とにかく見事である。青々としたふさふさは、まるで森のようだった。
「顕微鏡で見たい」
「どうぞ、持って帰ってください」
「いや、それは・・・」(美しい形を保ったまま持って帰る自信がなかったのでためらった)


職場で買ってから1週間たったらレモンにカビが生えていた。そこでの出来事の抜粋。幼虫に生えているカビは、そのときのレモンに生えていたものと似ている。もしかして、普通のアオカビか?

幼虫が死んでからカビが生えたのか、もともとカビにやられて幼虫は死んだのか、謎である。そして、白いカビと青い(緑の)カビは同じ種類なのか、白いカビが生えてから青いカビが生えたのか。白いカビが幼虫の死の直接の原因なのか、知りたい。青いカビは、土の上にも生えていることからしてあとから生じたものであることは間違いない。

身近なカビについて、分かりやすく書いてあるサイトはないかなあ。
コカマキリの卵のう2つとホオズキカメムシ以前発見した2つのコカマキリの卵、近くで念願の撮影。ホオズキカメムシつき。右の歴史を感じさせる色の卵は、もしかして去年のものか。
去年のコカマキリの卵のう クモつきこちらは去年のもの。なんだか下のほうに穴が開いている。さらにクモの巣になってしまった。去年、アサガオを取っ払ったときにクミゴンと電車男が発見したのだが、今年はついにカマキリの赤ちゃんを見ることはなかった。これは寄生虫にやられたということなのだろうか。しかし、私はこの卵を何度も見に来たはずである。穴が開いたのは比較的最近としか思えないのだが。寄生虫ならば、もっと早い時期に卵のうから脱出しているであろう。謎である。
レンゲソウの種子貧しい土地を肥沃にするには、窒素固定細菌を根っこで飼いならすマメ科じゃあ〜ということで、今シーズンはついにレンゲソウをばらまいてみる。
レンゲソウの種子去年の秋は何もしなかったが、今年は春から夏にかけてカタバミが猛威を振るった。一時の勢いは衰えたとはいえ、まだ緑の庭の主役である。一昨年はサヤエンドウとスナックエンドウを蒔き、もういいよというくらい(特にサヤエンドウを)食べまくった。その前の年は、家を買ったときで何もしていない。引越しが11月2?日だった。
レンゲソウの種子「日のよくあたる湿地を好み、田や畑へはバラまきします。」と書いてあるので、田や畑ではないのだが、本当にばらまいてみた。カタバミの種子が飛び散ったみたいになっている。しかし、これだけ葉の上に飛んでしまうと絶対発芽しないじゃないか。(^^;)風雨で飛び散るだろうと、実はたかを括っている。あ、でも、鳥に食われたら?たら〜ん。
レンゲソウの種子とヒキガエルの糞とゼニゴケとこれはレンゲソウの種子を撮ったつもりではなく、ゼニゴケの間に違和感のある土があったので近づいて見たら、やはり。ヒキガエルの糞だった。そして、画像ではちょっと分かりづらいが、この糞の(画像で)上のほう、いくつもかじられたような跡がある。おそらくダンゴムシだろう。

ところで、摂氏18度で発芽率70%以上、さらにまき時は9月から10月中旬と書いてある。大丈夫なのだろうか。(^_^;
秋のセイヨウタンポポ夏にぶっとい葉っぱだったセイヨウタンポポは確か一度葉が枯れていたが、またたくさん葉が出ていて、真夏とは違い、細めのギザギザの葉になっていた。画面右下にはアメリカフウロが見えている。
アメリカフウロの双葉女優をお寺に預けにいくとき、チラッとうちの北砂利を見るといつの間にかいろいろ草が生えている。そこで、送り届けたあと久しぶりに行ってみる。一番葉っぱが多かったのはヤブガラシだった。ヤブガラシは根っこからそれこそ文字通り根こそぎとらないと何度でも復活してくるね。しかし、一番驚いたのは、アメリカフウロが芽生えていることだった。いくつも芽が出ていたので、ちょっと探すと見つかった。双葉だけのものが。
アメリカフウロ 芽生えもうちょっと本葉が生えたもの。もっと生えているのや葉が枯れかけて紅くなっているのもあったが、それは撮らなかった。
冬至までまだ1ヶ月以上あるが、今の時期の満月は、見える位置が高い、高い。ビックリするくらい、真上。冬至のとき、北半球では太陽の高度が最も低くなるが、満月は太陽と正反対に見えるので、高度が最も高くなる。

太陽の南中高度が最も高くなるのは、夏至のときだが、日本ではあいにく北海道を除き梅雨のため(※)、太陽があまり見えない。また、見えたとしてもそこは太陽、とてもまぶしく、長時間見ることができない。そこへくると月はとても観察がしやすい。

この満月の高さが変わるということ、はたしてどれくらいの人が知っているのであろう。私自身、数年前に知ったばかりである。

今日帰ってくるときは、月が火星とツーショットだった。写真を撮ろうと屋上に行ったときは曇っていて雲が不気味に光っていた。明日になると、もう火星とのツーショットは無理だろう。月は1日ごとに約50分遅れて上ってくる。これもまたあまり知られていないだろう。たった1日で、月の位置は驚くほど変わっている(ただし、比較対象物がないと気づきにくい)。時間と場所を正確に決めて、1日ごとに月を見ると面白い。ぜひお試しあれ。

(※)沖縄は夏至のころにちょうど梅雨明けする。
ウラナミシジミ 翅の裏側10月20日の撮影。何度か登場もしているウラナミシジミ。シジミチョウというとヤマトシジミばかり庭で見ているので、他のを見るとうれしくて仕方がない。
ウラナミシジミ 翅の表側翅の表側は、裏側とはまったく違った模様。日光を反射するときれいな青紫が輝く。

ウラナミシジミの北上については、いつかまたどこかで。

ところで、この花はなんというのだろう。キク科であることは間違いないが。
タケノホソクロバの幼虫納骨の帰り、駅から家に向かう途中の人家の壁で。駅前にいく場合は必ず通る道。見たことない幼虫だったので、とりあえず記念撮影準備。ところが、16時21分で、だんだん暗くなってきたため、ISO感度を64から400へ変えたり、その前までは電車を撮っていたのでこれをスーパーマクロに切り替えたりなどしているうち、どんどん上のほうへ歩いて行ってしまう。人通りはあるし、壁の上まで来たのでカメラを構えると家の中を覗き込んでいるかのようにも見えるし(画像右上は明かりがついている家の中)、焦りまくった。
タケノホソクロバの幼虫もう一枚が、心理的な限界。家に帰ってから調べたら、タケノホソクロバの幼虫だった。タケやササの葉を食べるということで、つじつまは合う。この家はササも生えている。春先などは、シュルシュルと伸びては数日後にはいつも切られている。この幼虫は蛹になるため移動しているか、何らかの理由で落ちてしまい元の居場所を求めているかのどちらかだろう。ちなみに、大きさは大体2cmくらいだった。

毒ありで、しかも大発生することもあるので、これまた観察スポットが増えてしまった。もう、通勤のたびにチェックしちゃうよ。

タケとササの違いは、なんとなく見た目でしかわかっていなかったが、このタケノホソクロバを調べるついでに知った。生長してからも竹の皮をつけているのが笹、落とすのが竹。まさにこれこそ見た目のなんとなく分かっていたことと一致する。

(参考)
竹と笹の違いなど、竹について
果物をくわえた電柱の上のカラス車の助手席からフロントガラス越しに10倍ズームで撮影。おじの納骨を終え、割烹店へ向かう途中。周りは山。ハシボソカラスかな。なにかの果物をくわえている。カキにしてはまん丸か。いったいなんだろう。肉眼では分からないからデジカメで撮ったのだが、それでもやっぱり分からない。墓地のお供え物を失敬した可能性は高い。
カラス一瞬見失ったと思ったら、一段上に行った。そして、果物もなくなっていた。まさか1分もしないうちに食べられるはずもなく、落としてしまったか。

(参考)
ハシブトカラスとハシボソカラスの違い
今日、終電で仕事から帰ってきたら、西日砂利がすっかりさっぱりしていた。種はだいぶこぼれているようだが。

アサガオをとっていくと、壁際にはカメムシが、そしてテントウムシがたくさんいたそうである。また、カマキリも1匹だけ目撃したらしい。

「写真を撮ればよかったのにと」クミゴンに言ったところ、電車男は撮ろうとしたが「うまく撮れないよ」ということで失敗したらしい。

今、デジカメを確認してみたら、あははは、真っ黒だったり、ほとんど真っ白だったり。どうやったらこういう写真が撮れるのか、私が聞きたい。
虫食いのバラの葉撮影は5月4日。バラの葉の表側はハモグリバエの一種と思われるものが潜入し、あちこち食われている。葉の中の黒っぽいものは糞。穴とともに葉が白っぽくかすれた部分は?
虫食いバラの葉の裏バラの葉の裏にのところで書いた、何度か見たというのはこれも含む。目立つ一匹のほかに小さいのが写っている。これが若齢の幼虫だろう。やはり、前に書いたとおり、あっちは終齢幼虫だろう。
ハモグリバエの一種の幼虫?蛹?ハモグリバエは確か、蛹になるときは葉から出て地面に落ちると何かで読んだような気がする。まさにそのタイミングだろうか、これは。しかし、わざわざ地面に落ちるというのも、かえってリスクがあるような気がするが。確かに、葉の中では羽化ができないだろうが。
オナガアサガオの花に飛んできたウラナミシジミを撮っている最中、ギェギェたくさん鳥が来ていてうるさかったので、見上げたら、オナガの集団だった。オナガは久しぶりに見た。

10倍ズームで撮るも、この画像サイズではこれが限界。サイズを変えようとしたら飛んでいってしまった。別のところで複数鳴き声は聞こえたが、姿は見えず。はたしてシャッターチャンスはまた訪れるだろうか。

オナガは鳴き声はきたないけど、姿は美しいからねえ。
アサガオ最後の日から5日たった。まだ無事。

コカマキリなにか幼虫いないかなと探していると、見つけたのはこれ。またコカマキリ。この前のコカマキリとは明らかに違う。恥ずかしがって、顔を隠しているみたい。実際は単に向こうを向いているだけだ。
コカマキリあまりに動かないので、もしかしてぶら下がったまま死んでいるのではないかと思った。触ってみようと思ったら、お腹が一瞬膨らんだので、生きていると分かった。ズームをしたりして、こちらに意識を向けさせようとするが、我関せず。カメラが影を作ってしまうのでこの角度ではこれ以上近づけない。とはいえ、普通ここまで近づいたら、こちらを向くものだが。
コカマキリの顔アップ角度を少し変えて、顔をアップ。お腹が一回膨らんだとはいえ、やっぱりこいつ死んでいるのではないかと心配になるくらい動かない。脚や腹にちょんとタッチをして、動くことを確認する。ここまで向いてくれたのが限界。気温はそこまで低くないので、空腹のため動けないのかとも思う。
コカマキリがいたところコカマキリがいたところ。立ったまま撮影。右の壁に私の影が写っている。13時0分58秒。こんなに西から日がさすのだな。それともうちが真南を向いていないということか。
コカマキリしゃがんで撮影。このコカマキリを撮っている間、ブンブン羽音がうるさかった。はじめ、ニクバエあたりかと思ったが、ちょっと音が違うかなということで辺りを見回してみると少しして音の主が見つかった。クロスズメバチだった。動きが早く、けっして止まらないので撮影はできなかったが、その動きはよくわかった。アサガオの葉の裏などを丹念に捜索していた。

アサガオの花とツマグロオオヨコバイと飛んできたウラナミシジミ小さく咲いているアサガオがあったので、ついでに撮っておくかということで近づくと、がくのところにツマグロオオヨコバイ発見。ヘチマのところにはたくさんいるし、なにも珍しいことはないのだが、せっかくなので記念撮影を。と、カメラを構えていたら、なんとチョウが飛んできた(左上)。ウラナミシジミだった。
アサガオに飛んできたウラナミシジミ4秒後。
アサガオの中心に向かうウラナミシジミ そしてツマグロオオヨコバイさらに4秒後。アサガオの中心に向かう。
さらにアサガオの中心に向かうウラナミシジミ そしてツマグロオオヨコバイその6秒後。さらにアサガオの中心に向かう。液晶画面から目を離してみると、日光を反射して翅の表側の紫がきれいだ。ぜひそれを撮りたいと思ったが、タイミングが合わず。
アサガオから飛び立つ直前のウラナミシジミこの間に2枚あるが、ピントが甘く、面白みがないので省略。前の画像から20秒後。ウラナミシジミにアサガオの蜜を吸うのは無理。それを悟ったか、あきらめて飛び立つ直前。
一輪だけ咲いているアサガオ全景今日咲いているアサガオは、2つか3つ。ほぼ中央にある小さな紫が、上のアサガオ。

以下は母娘の会話。
女優「きれいなおうちに住みたいよ」
クミゴン「まだ3年よ。きれいなほうよ」
女優「玄関の横がきたないもん」
クミゴン「・・・」
女優「魔女のおうちみたい」

クミゴンの解説によると、もっとすごくツタがからまっている家のことを「魔女のうちみたいだ」とよく言っているからだという。女優がそこまで言うなら・・・一度は覚悟したし。しかし、このアサガオ、私にはまだ惜しい。


もう1匹のコカマキリ撮った画像をパソコンで確認したりしてから、再び、アサガオを見に行く。さっきとほぼ同じところにコカマキリはいた。5cmも移動していない。それから、またアサガオの花のところを見に行ったら、すぐ近くに別のコカマキリ発見。まだいるのか。
アサガオの花とコカマキリ何かを探そうとしないとまず気づかないよ、このカマキリは。ツマグロオオヨコバイはいなくなっていた。

2時間半後の16時過ぎに見たら、アサガオはまだ花を閉じることがなく、こちらのコカマキリもほとんど移動していなかった。最初のほうのコカマキリはいなくなっていた。

さらに今(22時36分)見てきたら、コカマキリは見当たらず、アサガオはまだ咲いていた。咲いているというより、花びらを閉じることができないでいたというほうがよいのか。さらに、4番目の画像を眺めていて気づいたのだが、もしかしてこれはカマキリの卵だろうか?というものを今確認してきたら、やはり卵だった。しかも、同じ場所に2つである。2つあるというのは実物を見てはじめて分かった。一部重なるように産んである。これは珍しいのではないだろうか。
コカマキリ4番目の画像、再掲。画面ほぼ中央の下側。アサガオのしおれて枯れた花びらがついているのだろうと最初は思ったが、それにしては重力に反して上側についているのでおかしいと思った。湿り気があればそれもありうるが、あきらかに乾燥している。その不自然さが受け入れがたいので、見に行ってみた。びっくりである。今度、近くで写真を撮っておこう。

このコカマキリの動きが鈍かったのは、もしかして、産後まもなくだったからだろうか。
地球温暖化が問題視されるようになって久しいと思うが、ところで、その根拠となる地球の平均気温とはいったいどこを測定してそういっているのであろう。

地球上のあらゆる点に温度計をおくことはもちろんできない。当然、いくつかの観測点に置くことになるが、これが問題だ。その観測点をどう選ぶかである。この選び方によって、平均気温なんぞはいくらでも変わることになる。ちょうど、日経平均株価が、銘柄の入れ替えによって値が変わるのと同じである。

100年以上前からの地球全体の平均気温という数値がもしも出てくるとしたら、かなり怪しい数字だろう。今も発展途上国と呼ばれている地域で、100年前、どれだけ正確に気温を測って、そしてそれを記録していたかなど、大変疑わしい。

そう考えると、地球の温暖化という考え方すら、怪しい。
特定の地域、たとえば、東京について、同じ地点で100年間観測を続けてきたというのならば、まだ分かる。ただし、これで分かるのは、東京の平均気温の変化だけである。地球全体にはならない。

実際に、温暖化を研究している人たちによると、どうやらはっきり数字で出てくることは、都会の年間平均気温は上がっている。それも、最低気温が上がっているということである。これならばわかる。

いずれにせよ、平均という数字が出てきた場合は要注意である。平均というものはしょせん最初の近似に過ぎない。平均がそんなにも有用ならば、受験で偏差値は登場しない(その偏差値ですら、有用であるためにはいくつかの条件が存在する)。

また、数字というものは、ひとたび出されると客観的な説得力を持つが、実はその数値化するまでの過程に多くのあいまいさ、不明確さがあり、数値化された瞬間にそれらが隠蔽されてしまう。地球の平均気温などはその好例であろう。

かくして、地球の平均気温とは、いったい何をさすのであろう?観測点の選び方によって、なにかの指標になることは間違いない。しかし、それはまたどれくらいの年月、どの程度正確なのであろう。こういったことをふまえてはじめて、地球の平均気温という概念は意味を成す。
チュウレンジバチの幼虫の糞 ヘチマの葉の上に大量の糞から幼虫を見つけるということはよくある。それにしても、大量。撮影は10月27日。
立春、立秋、立冬になると「暦の上ではまだ立○なのに、〜ですねえ」という表現にあちこちで出会う(立夏だけはあまり聞かないか)。

真冬に春を待ちわびて、「暦の上では立春なのにまだ寒いですねえ」と言ったり、真夏に涼しさに憧れて、「暦の上では立秋なのにまだ暑いですねえ」と言ったりするのは、日本人らしいあいさつとして、わからなくもない。しかし、実質的にも、もともとの意味を考えても、おかしな表現だ。

立春は冬至と春分のちょうど真ん中であり、立秋は夏至と秋分の真ん中である。もちろん立冬は、秋分と冬至の間である。

もともとの意味では、たとえば、立秋とは、夏の「気」が弱まり始め、の「気」がここから少しずつちこみ始めるということである。つまり、夏のピーク、真夏である。実際に、立秋のころの気温が一番高く、これを境に気温がだんだん低下していく。気候が違うので単純に比較できないが、こういったことをきちんと知っていた古代中国人、さすがである。

立冬の場合は、気温がピークになるわけではなく、ちょうど移行の真ん中なので、適当な言葉は見当たらず(まさか真秋とも言えず)、すっきり感がないが、いずれにせよ、冬ということは、まずない。「暦の上では冬」という前置きは、いかにおかしいことであるかと分かるだろう。

同じ言い方をするならば、「暦の上では、夏至は真夏だし、冬至は真冬」になってしまう。こういった言い方はけっしてしない。

以下のように、あくまで季節を定義するならば、「春は暖かい」という概念そのものを見直す必要があるだろう。その場合でも、「暦の上では春なのに寒い」という言い方はやはり変である。

春 (2月4日〜5月4日) … 立春・雨水・啓蟄・春分・清明・穀雨
夏 (5月5日〜8月6日) … 立夏・小満・芒種・夏至・小暑・大暑
秋 (8月7日〜11月6日) … 立秋・処暑・白露・秋分・甘露・霜降
冬 (11月7日〜2月3日) … 立冬・小雪・大雪・冬至・小寒・大寒
ヘチマの実と虫食いのバラの葉このヘチマの写真を見ていてはじめて気づいたバラの葉の虫食い。チュウレンジならば葉の端から食っていく。真ん中が抜けているということは別の虫。
バラの葉の裏の幼虫今までにも何回か見たことはある。初めはチュウレンジの孵化したばかりのものとも考えたが、姿かたちは違うし、なによりこの食いっぷりは終齢幼虫ではないか?
バラの葉の裏の幼虫ハバチの幼虫だと思うが、わからん。
ぼろぼろのアサガオ今朝、クミゴンいわく「もういいでしょ」「うわ、撮影するまで待ってください」というわけで記念撮影。数々のドラマを提供してくれた今年のアサガオもこれが見納め。本当はどのように朽ち果てていくか見届けたいのだが。それにしても、7月21日はまだたいしたことなかったということに改めて驚く。
ぼろぼろのアサガオよく見るとまだ青々とした葉があるのになあ。それも、けっこう虫食いになっていて、探せばまだいろいろな幼虫がいると思うのだが。
アサガオの種子アサガオの種子はこのように勝手にぱらぱらこぼれていく。そして、そのうちのいくつかがまた来年に勝手に芽生えてくる。すでに芽生えてしまったものも少なからずあるが。

ところで、仕事から帰ってくると、まだアサガオは無事だった。
コカマキリハラビロカマキリは10月24日に見たのが最後。その10日後の11月2日がこれ。今年はハラビロカマキリばかりでコカマキリは見ないなあと思っていた矢先のこと。ハラビロカマキリがいたところとほぼ同じヘチマの葉の上に。
コカマキリとりあえずもう少し近づく。あっと、単にズームしただけだったかも。
コカマキリ カメラ目線さらに、ズームをいじっていたら、こっちを見た。動きに反応したとするのが普通だろうが、私の印象としては、ズームの音に反応したように感じた。なんと、デジカメを獲物と勘違いしたのか体をゆすりはじめ、ファイティングポーズになった。
コカマキリのメスと思ったら、50秒後にはこれ。そっぽ向いちゃった。身重のメスであったことをこのとき初めて知る。

翌11月3日にもコカマキリを同じ場所で見る。さらにその翌日の4日、出勤前に同じ場所を見て、今日はいないかとちょっと安心、ちょっとがっかり。
コカマキリ コニファーに庭から戻り、戸を閉めようとしたとき、気づいてしまった。なんで私には見えちゃうんだよ。
コニファーにいるコカマキリ ズームズーム、イン
ヘチマの実と虫食いのバラの葉同じ立ち位置で同じ倍率でその下のほうを写すと、これ。うちで2番目に大きいヘチマの実(ヘチマの生長で記事にしたのがこんなに大きくなった)とこれを撮ってから改めて気づいた虫食いのバラの葉(虫食い犯は後日記事にする予定)。
ホトケノザ他はす向かいの更地をふと見ると、また新興勢力が芽生え始めていた。そのなかで一度覚えれば誰でもすぐわかるのがホトケノザ。そうそう、確かにこの時期からもう生えているんだよねえ。

あと中央やや左よりはナデシコ科の草だと思うが、なんだかわしには分からん。あと、上と下は何だ?最初、ヒルガオかと思ったが、スミレの葉っぱにも似ている。しかし、環境が変わったとはいえ、この土地でスミレは見たことないなあ。

ホトケノザ 他ホトケノザを中心に。右の草は虫に食われとる。おそらく夜盗虫の仕業であろう。左のハート型の葉の草はなんだろう。茎が紫。ドクダミはもっと小さいうちから葉が大きくて、最初から「ドクダミ〜」って生えてくるのがうちの庭での経験だ。それは地下茎が立派に残っている場合だけか?もしかして。さらに左側のイネ科は無視して、右端のギザギザ葉っぱは?

ギザギザの葉の芽生えこれはなんであろう。もしかして、カナムグラ?茎は似たような感じだなあ。

あと、写真には撮らなかったが、オシロイバナもしつこくまた芽生えていた。
クサギチカラシバ 花穂を撮ったのと同じ某公園。同じ日の10月20日16時半。薄暗くなり始めていた。ここを通ったのは、おそらく電車男がベビーカーを卒業するかどうかという頃以来。ここに道があることすら私は忘れていた。当時、電車男が木でできた遊歩道をトコトコ音を立てながらうれしそうに歩いていったのを思い出した。何だよ、こいつ、こんなに歩けるのかよというのがクミゴンとの共通見解だった。

歩いていて、視界の端に派手なものが入り、てっきり風車かなにかかと思った。
クサギ 果実花のようだが変だなあ、実なのかこりゃということで、結論は今日の今日まで持ち越し。はなだよりの記事を見て初めてクサギ(臭木)と知る。

『日本の樹木』(学研)に出ていた。

萼は5裂して赤く(中略)、藍色の丸い果実と対象的で美しい。

とある。「対象的」ではなくて「対照的」でしょうが・・・。
屋根の上のネコ撮影は10月23日。しかし、今朝も同じところにいた。前にも何度も見ている。夜にもいる。撮ったのはうちの中から。
あっち向いた屋根上ネコあっち見て。
そっち向いた屋根上ネコそっち見て。
こっち向いた屋根上ネコこっち見て。
ヒラタアブ成虫 ヘチマの雄花に気温低下にもかかわらず、まだヘチマは元気。昨日は起きたときは室温は20度。家に帰ったとき(25時半近く)はついに19度になっていた。今は20.5度。

ヘチマの花にはいろいろな虫がやってくる。だんだん動きが鈍くなってくるので、撮影が楽になってくる。ヒラタアブの成虫はなかなかうまく撮れない昆虫のひとつだったが、ついに撮れた。
ヒラタアブ少しずつカメラを近づけて、やった、こんなに近づけた!と思った瞬間、油断したのか左の小指に引っ掛けていたレンズのふたの紐を放してしまい、それがヘチマの雄花に当たって逃げられた。しかし、このとおりすぐ近くのヘチマの葉に止まった。やはり気温が低いのだ。
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