雪だるま本体の右側の地面にも黒いしみが出来ているのに気づく。そして、その中心部にはやや白いもの。ははあん、頭がもげてこちらに落ちたのね。それは人為的になされたのか、自然になったのかは分からない。
雪だるまにうーんと近づいて見てみると、はあ、やはり。レンゲソウの種子が雪に巻き込まれてくっついている。
「熱かったよ、今。熱かったよ、首が」
「僕も感じました」
「熱かったよね、熱かったよね。だって、こんな、電車の厚みがあってだよ」
私の大きな声は、となりのシートの向こう側の端の方に座っている男性客にも届き、やはり興奮し、共感した面持ちでこちらと目が合った。だって予想外に突然首が熱くなったんだよ。あの距離でまさか熱が伝わってくるとは。そもそも線路沿いで火事とは夢にも思わないし。
首への熱攻撃からまた1秒もしなかったと思うが、今度は焦げ臭いにおいが漂ってきた。その時間差攻撃は、強くなったり弱くなったりしながらしばらく続いた。電車にどこか火が飛び移っていないか、本気で心配もした。さっきの首への熱が忘れられず、思わず、窓も触ってしまった。
次は最寄り駅だった。コンビニによる予定を切り上げ、まっすぐ家に帰り、屋上から火事が見えないかその方角を見てみた。そちらはちょうど高い建物が多く、とても分からなかった。しかし、上空にはヘリが飛んでいるのがわかった。消防関係のヘリではないかと思う。耳には消防車のサイレンとそれから救急車のサイレンが聞こえてきた。
ところで、何であんなに熱を感じたのか、電車を降りてから気づいた。熱の伝わり方は、3つあり、それぞれ、伝導、対流、放射である。電車に乗っているときは、なぜか、伝導で熱が伝わってきたように勘違いし、それで思わず窓を触ってしまったりもした。しかし、あれは放射、つまり赤外線による熱だったので、窓を貫通してやってきたのだった。日差しがガラス越しでも暖かいのと同じである。それにしても、背後から予期していなかったので、ほんとにビックリした。
近づいて見に行くと、警戒心が弱いのか、安心しきっているのか最初はこちらに気づかないようで、動きに変化がない。額に新しそうな生傷があり、お腹が大きいなあと思いながら見ていたら、目が合った。なおも近づくと、緊張が走り、小走りに逃げていった。やっぱり妊娠しているようにも見えた。それとも単にデブなだけなのか?(見ず知らずのネコをデブと思っても裁判になったりしないよな)
もちろん、まったく当たらない訳ではなく、おそらく、当たるほうが圧倒的に多いだろう。雨が降らないといったのに、降ったりするとダメージが大きいので、いつもは当たっていても当たらなかったときのイメージが大きく、天気予報は当たらないとインプットされる。そういう点でも分が悪い。
天気予報は当たらない。もっと正しくは、天気予報は完全には当たらない。そもそも当たらないから「予報」なのだという言葉の定義はさておき、ここでは、理論的に当たらないということを簡単に記しておく。
天気予報が当たらない理論的な根拠は、一言でいえばバタフライ効果である。
私がはじめてバタフライ効果という名前を知り、深く感銘を受けた本からそのまま引用しよう。
現在の天候モデルでは、60マイル四方という細かいますめを使っているのだが、それでもなお人工衛星や地上測候所からすべてを見るわけにはいかないから、出発点のデータの、あるものはどうしても推測に頼る必要がある。そこでその間隔をうんと縮めて、地球上1フィートおきにセンサーを据え、高さ1フィート間隔で大気圏のてっぺんに至るまでセンサーを備えつけたとしたらどうだろう。そして各センサーは温度、気圧、湿度その他気象学者の注文しだいの量を正確無比に測定してくれるものとする。今正午きっかりに極めて強力なコンピューターがデータをみんな集め、そして各所で12時01分に起きること、12時02分、12時03分に起る変化を計算するとしたら、どういうことになるだろうか。
驚いたことにそんなにしてまでもニュージャージー州プリンストンで、1ヵ月後に日が照るか雨が降るかをコンピューターで予測することはできないのだ。正午に平均値からほんの僅かばかりはずれた何かが、センサー間の空間にかくれているとすると、12時01分にはそのずれが、すでに1フィート先にわずかな誤差を生じはじめ、その誤差は先にいくにしたがってみるみる10フィート規模にふくれあがり、ついには地球サイズにひろがってしまうのである。『カオス---新しい科学をつくる』ジェイムズ・グリック著、新潮文庫
ちなみに1マイルはおよそ1.6キロメートルで、1フィートはおよそ30センチメートルである。
さて、「平均値からほんの僅かばかりはずれた何かが、センサー間の空間にかくれているとすると」とあるが、たとえば、その何かとして、センサー間を蝶(バタフライ)がひらひらと舞うとする。そうするとわずかばかりの誤差がつもりにつもって大変な差になるというわけである。別にバタフライではなくて、ため息でもいい。今これを読んでいるあなたが、「そんな馬鹿な!」と叫んだり、ため息をついたり、深呼吸をしたりすると、そんな呼吸一つひとつもが全世界の未来の気候に影響を与えるのである。あなたがため息を我慢すれば、10年後の異常気象は防げるかもしれない!?
天気予報や予測は、長期と短期、大域と局所等によって計算の仕方等異なるが、いずれにせよ、一筋縄にはいかないものである。
さて、カマキリの卵である。カマキリの卵が高いところに産みつけられるとその年は大雪になるというまことしやかなうわさがネット上でも流れている。テレビでも放送されたという。私も酒井与喜夫著『カマキリは大雪を知っていた』は読んだ。著者は実によく調べているし、その姿勢には頭が下がる。研究内容もとても興味深い。しかし、天気の予測がいかに難しいかをぼんやりとでも知るものにとっては、相当の証拠を突きつけてもらわねば、到底承服できる結論ではない。著者自身、少なくともその論文の中で(そこが本に収録されている)、補正の仕方で結論が変わり得るとしている。他に追試をやっている者もおらず(いたら教えてください)、信憑性はきわめて低い。
昨年末から今年にかけての大雪について、そういえばカマキリの卵が高いところに産みつけられてあった、というのはたいてい後付けである。きっと検索すれば、そういうブログがいくつも出てくることだろう。たった1つ(または数個)の卵でそのようなことは予測できない(※)。著者自身は膨大な数の卵を調べている(だから頭が下がる)。さらに40年も研究している(これまた頭が下がる)。しかし、悲しいかな、ここで忘れてはいけない決定的な事実がある。40年ということは、まだ、たった40回しか検証されていないということである。40回のうち、当たり外れはどれくらいあるのか、それについても統計的にきちんと検証されなければならない。本当に面白い研究だと思うが、いかんせん、第3者のデータがない。
結論:天気のはかなさとデータの不足でカマキリの卵の高さと積雪量に関係はあるとは断定できない。なお、古くからの言い伝えはやっぱり正しかったとか、昔のヒトはよく自然を観察していたと言うのもこういう話であわせてよく出てくるが、間違っていることも多いという事実をけっして無視してはいけない。
(※)ちなみに、うちの敷地にあるコカマキリの卵、一昨年のものは高いところにあり、昨年のものは低いところにある。
あれから、もうほぼ1ヶ月が経つ。ここ数日は西高東低の典型的な冬型の気圧配置がくずれ、移動性の低気圧が来て雨が降るなどして、やや寒さがゆるんだ。寒さへの慣れが出たこともあって、やっぱり暖冬ではないかと思うほどである。しかし、明日(日付上は今日)は冷え込むらしい。冬らしさをちょっと期待もしている。しかし、遅く種をまいたレンゲソウが心配だ。この前ちょっと見たら、本葉が出始めたのもある一方で双葉の先から枯れ始めているものもあった。
立方体は数学の問題ではよく使われるが、自然界で立方体のものはなかなか思いつかない。一方、球はどうであろうか。まん丸のもの。すぐにいくつか思いつくだろう(よろしければ、思いつくままにコメントをしていってください)。
もうひとつ付け加えておくと、球はどの方向からバサッと切っても、必ずその切り口は円になる。そのため、かなり当たり前の話だが、球はどこから見ても平面的には円である。
ヒトが手を加えていないもので、身の回りにどれくらい円が見つかるだろうか。一方、正方形、あるいはもう少し条件をゆるめて長方形のもの。自然界にどれくらいあるだろう。そして、ヒトが作ったものはどれくらいあるだろう。もっと単純に、自然界で直線はどれくらいあるだろう。
こういう目で見ると、ヒトの作った世界は、あまりにも「四角四面」であることに気づくだろう。
もうちょっと左側。日がうっすら出たので日なたと日陰の区別がつく。葉があればすっかり日陰になるこの土地も、冬はこのとおり日がたくさん当たる。
はじめの画像の右側をぐるっと通って反対から振り向いて撮ったのがこれ。もう少し背の高い木はこの画像の右側にあり、ここは真夏の手入れが入る直前には背丈が1メートル程度のぼうぼうの草むらになる。この手前に生えているコケをうちの庭に移植もしていたりする。
「見事なフラクタル!」
フラクタルという言葉を知ったのは大学に入ってからだった。今ではそこそこ有名になっているのではと思っているが、そんなことはないのだろうか。
『ジュラシックパーク』のイアン・マルカムのこの台詞が好きである。
綿花の価格を考えてみてくれ。綿花の価格については,100年前までさかのぼってきちんとした記録がある。この綿花の価格変動をグラフにしてみると,一日のグラフの形は基本的に一週間のグラフの形に似ているし,週間グラフには年間の,あるいは10年間のグラフと同じパターンが見いだせる。これをマンデルブローの法則という。ものごとというのはそうしたものなんだ。一日は人生の全体に相似する。(中略)全人生のパターンはすべて,一日の中に見いだせるんだよ
ちなみにこれは原作であって、映画では出てこない。
さて、樹木の枝分かれは典型的な自然界に見られるフラクタルであるが、根の枝分かれもそうである。そこで、上下を反転させてみたのが昨日の記事「これはなんでしょう」の画像である。そのままだとひっくり返しただけとすぐわかりそうなので、さらにネガとポジを反転させた。これで少しは根のように見えるかなと。
この木は女優が通う保育園のお寺の木である。今年の元旦に初詣に行った際に撮影した。
フラクタルは本当に興味深い。また触れる機会があるだろう。
今日、図書館の帰りに、ああそうだと思って寄ったものだが、実もついていた。ヤブランの実、りおさんのところで見て初めて知った(ヤブランを知ったのも去年だが)。
ヤブランの実、お肌に張りがなく、少し水分を失って(熟して?)、しわが寄っておりますな。下のほうの実はぽろぽろとこぼれたのだろうか。
はなだよりにも出ていたわ。でも、仕事が超繁忙期に突入していたこともあり、その記事を読んだのは今がはじめてだわ。毎日チェックしているはずなのだが・・・。
前よりも青いカビにおおわれた部分が増え、やせたように感じたから撮ったのだが、前の写真と比べてみると、少し移動していて見える角度が変わっている。カビが幼虫の体から有機物を得て、無機物に分解したからやせたのかと思ったのだが、違うかもしれない。
ここは庭の端であり、誰も通らないところなので、風で動いたとしか考えられない。12月中旬の寒波のときならばあり得ると思う。
大きさを正確に比較できないかと思って、画像の中をいろいろ見ていたら、幼虫の右側に生えているゼニゴケが生長していることが分かった。大晦日の画像のほうが幼虫は小さく見えるが、そのゼニゴケはむしろ大きくなっている。このように写真は観ていないところも写っているから面白い。
たとえば環境省の生物外来法に関するページにはそのリンク先も含めて、いろいろ詳しく出ている。まだそのすべてを読んではいないが、大体のイメージはつかめた。
特定外来生物とは、海外起源の外来生物であって、生態系、人の生命・身体、農林水産業へ被害を及ぼすもの、又は及ぼすおそれがあるものの中から指定されます。
生態系への被害を及ぼすものというのはどうもひっかかる。一番影響を及ぼしているのは明らかにヒトである。
ミズヒマワリに続いて、オオフサモやオオカワヂシャもこの2月から第2次特定外来生物に指定される予定だという。なんと、私の観察してきた緑のじゅうたんは、もしも「防除」が実行されたら、なくなってしまうではないか。そのあとに在来種が増えるのか?いえいえ、他にもオランダガラシやキショウブをはじめ、たくさんの帰化植物が生えている(しかもそれらは要注意外来種生物リストに載っているよ、ププッ)。そもそも川の両サイドがコンクリートで固められている時点でかなり自然から離れている。構造的に、おそらく下流にも広がらないし、わざわざ採集するヒトもいないだろうから、多分あの地域は「防除」の対象にはならないだろう。最初は駆除されてしまうのかかなり心配になったが、平気だろうと今はたかを括っている。
それにしてもこの手のもの、いろいろなヒトのエゴがぶつかり合うところ。正義は多分、どこにもないと思う。
それはともかく、クミゴンも言っておる。「温暖化はどうなったの?」と。日本以外の地域は一体どうなのだろう。
東日本で平年値のマイナス2.7度、西日本でマイナス2.8度。約3度低いだけでこんな感じなんだな。しかし、耐えられない寒さではなかった、少なくとも私の住んでいるところは。まあ、これくらいの変動はあってもいいんじゃないの、と私は思う。
北極振動の関係で、夏は逆に猛暑になる可能性もあるとか。そうなると、また「やっぱり温暖化だあ」というのがあちこちから聞こえてくるに違いない。きっと、この12月の寒さを忘れて。そういうときのためにも、こういう文章は必ず残しておく。
やっとわかった、やっとわかった。
ミズヒマワリ、ミズヒマワリ。
名前を知るのに5ヶ月かかった。トータルでいったい何時間かけたことか。それがひょんなことから、芋づる式に出てきた。恐るべしインターネット。そして、ありがとう!
オオフサモからごまのはぐささんのところに飛んで、そこからまた別の植物を検索して、飛んだページの3つ目に出ていた。
それが以下のサイト。
http://www.env.go.jp/nature/intro/t-syokubutu.html
これじゃ、これぇ〜〜!!
こんなサイトもある。
http://www.naturetoybox.com/sub1-2-4.htm
まさにアサギマダラ、きている。
しかし、ミズヒマワリ、問題の植物のようだな。
ずうっと雨や雪が降らないせいか(※)、川の水位がかなり下がっているような感じがする。そのせいなのか寒さのせいなのか、この半月で川の様子がかなり変わっているような気がする。夏に勢力を広げていたものはどんどん衰退し、春に向けて新興勢力が着々と準備をしているような雰囲気がある。
このオオフサモしかり、オランダガラシ(クレッソン)しかり。ともに多年草であるので、根はしっかりと張っていたというところだろう。
昨日の1月2日には、久しぶりに雨が降った。今朝は門が凍りついていて、一瞬開かず、感動した。路面は凍結していた。仕事でなければ写真を撮るところだった。
ってなことをずうっとずうっと思っていたら、大晦日にこいつも発見。これも同じ種類だろうと単純に今の今まで思っていたが、ようく見ると、もしかして別種?
前者はこんなところに。
後者はこんなところに。画面中央。その右半分の中央が大晦日のトキワハゼ。
10倍ズームでいっぱい撮ったが、どれも似たようなもので、全部載せてもあまり参考にはならなさそうなので、あとはこれだけをアップ。
ひいて撮ったもの。ここは駅に行くときに必ず通る道。駅から数分のところに大きい庭を構えており、この家は間違いなくとってもお金持ち。これくらいの大きな庭が私もほしい。
去年の4月5日の同じ木。撮影角度がちょっと違うのは、人工物との対比で確認を。ハクモクレンとコブシの違いは、花を見れば分かるというのはよく聞く。クミゴンもそう言っていた。やっぱり私にはわからない。
このとおり、花は終わりに近づいているときのもの。しかし、これでおしべとめしべの作りもわかりやすく、なかなか教育的だろうと自負している。おっほん。
モクレン目は最も古い被子植物で、花の作りも原始的というが、今の私にはそういった言い方はピンとこない。それより、なんだか面白い花だなあというほうがしっくりくる。もちろん、けっこうきれいだし、春の訪れを感じるのでなかなか好きだ。しかし、それ以上に冬芽のほうが好きだったりする。だから、このとおり、新年はこれからの可能性を感じさせる冬芽でスタート。